無知の知
おはようございます、土本です('ω')
しばらくものづくり記事が続いたのですが、今日はタイトルの通りの記事を!
皆様は、「無知の知」という哲学概念、ご存じでしょうか。
難しい話は難しい! そりゃそうです。
ざっくりとお伝えしますと、
「自分は何でも知ってるとは思わない」という状態のことです。
本コースやおしゃべりに参加いただくと
「それ、聞いたことあるわー」とか「スピリチュアルの常識じゃない?」とか
「人間だものそうじゃない」とか「物理的にはそうよね」
そんな反応に落ちることがあります。
で、「その言葉知ってる」から「〇〇って事でしょ?」
なんて思い込みを持って聞いてしまうわけですね。
「その言葉を初めて聞いた」人のように、
「真剣に聞く」ことが出来なくなってしまいます。
無知の知という状態では
「聞いたことのある言葉」だけれど
「私はそれをよく知らない」という、ものの聞き方をできるのですね。
さて、ここで一つのお話しです。
私も聞きづてなので、原文などは知りませんが……。
ある時仏陀は、祭りを取り仕切るように言われました。
なので祭りを成功させるべく、今までその祭りを取り仕切ったことのある人々に、
「事細かに」質問をしていったのです。
仏陀の行動に対する周りの人々の反応は、冷ややかなものでした。
あいつは、こんな簡単なことも分からないのか。
こんなくだらない質問をしてきたぞ。
そんなもの、誰でもわかるではないか
聞いてくるなんて、よっぽど頭が悪いのだろう……と。
そして、こんな簡単なことも分からないやつが取り仕切る祭りは
きっとボロボロに失敗するだろう……。
そんな印象を、周りの人々に与えたのです。
しかし仏陀は、今までにないレベルで、祭りを成功させたのでした……。
と。 昔、私が教わったのは、そんなお話しでした。
さて、ここから分かることは、私にもいくつかあります。
「知っているからといって、おごらない」
「あいまいな事や知らないことは、細部まで確認していく」
「何かを成し遂げるのに、恥をかくという恐れは邪魔になる」
「周りの意見がそうだからというのは、自分の行動を左右する理由にはならない」
などなど。
たったこれだけのお話しで、勉強になることは沢山あるわけですね。
これらはすべて、おしゃべりやコースでも、お話しすることのあるものです。
逆に言いますと
知っているからと言って鼻を高くし
細部までの確認を怠り
恥をかくから質問などせず
周りがそうだからと自分の意思なく動いたら
祭りは失敗したでしょうね。
これを人生や、自分の仕事にあてはめた時
完璧に、仏陀のような行動をできる人は、ほぼいないかと思われますが、
そうでなくとも少しでも、近づけるように出来たら
自分の周りが少し、うまく回りだすかもしれないですね!
無知の知とは「自分は完全にそれを知らない」という、自覚のこと。
知っていると思ってしまったら、仏陀のような行動は出来ないはずです。
自分が知らないということを知っているからこそ、
学び続けることが出来る。
自分が知らないということを知っているからこそ、
何かあったときに、柔軟に対処できる。
色々な捉え方が出来ます。
「それをよく知っている」という思い込みが、一番厄介ですね……!
0コメント