「自分」のゴタゴタの先にあるもの

 こんにちは、一日飛びの土本です。

 今日は少し、アロマルナさんの公式ラインとリンクする

 ちょっと真面目なお話を書いていきます。


 カウンセリングはその形態上、一般的に

「悩みを解決して、スッキリしたい!」というのが、メインに来ると思います。

 そして、「自分の人生」をよりよく、楽しく生活したい! と。


 そこで私は一つお尋ねしたいと思うのですが、


「あなた」の「個人的」な悩みが「スッキリ」したとして、

「あなた」は「問題」なく「暮らせる」でしょうか?


 あなたの個人的な悩みは、何もなくなったとしましょう。

 そんな時隣の国が(自国はどこでもいいです)、

 飢餓を経験している真っ最中だとしたら?


 もしかすると隣の国の人々が、あらゆる地方の国に助けを求め

 次々と国籍を求めながら、移住を始めるかもしれませんよね?


 そしてあなたの地元も急に人口が増え……

 商品が足りない……


 仮の話ですが、「自分の悩み」が「無ければそれでいい」だと、

 こういう事態を招く恐れだって、あるわけですよね。


「自分は何も不都合はないし、他の人のことまでは関心もないし……」


 それがどこでどう、しっぺ返しになるのか。

 はい、予想はつかず、分からないのがこの世界というものです。



 今、時代は

「地球の規模で見れるかどうか」。

 そんな視点を、求めてきています。


 個人規模では解決しない問題が、ものすごく増えています。

 また、個人の現象も、個人の規模で見て、理解できなくなりつつあります。


 自分が生活苦で、「原因はあなたの意識にあります」と繰り返し言われたとして

「私が可哀そうなのに、どうして怒られなきゃいけないの! 叱られるのよ!」

 と、思ったとします。


 詳しくは書きませんが、

 地球規模で見ると、叱られている理由は明らかなのです。

 可哀そうな自分に甘んじていること自体が、既に問題なのです。

 もう、そんな余裕は残されてないはずですよ。


 地球規模の視点で見たり、

 人類皆兄弟、といった視点で見た時にしか

「今なぜそうなっているのか」が分からないことがあります。

 可哀そうな自分に留まって、何が問題なのかは

 地球の規模で見なければ分かりません。


 地球や宇宙は、あなただけを特別扱いしません。

 出来事は、法則は、全てに等しく降り注いでいます。


 なのに「私ばかり不幸だ」なんて嘆きを持つことは、

 地球の規模で見ると、「ありえない」のです。


「私ばかり」「あの人ばかり」。

「私だけが〇〇だ」「あの人と私は違う」。


 人間、そう思いがちですが。 これらは全て、不可能なことです。

 全て「私が特別だ」という意味になるのが、伝わりますでしょうか?

 地球規模で見ると、それはあり得ないことです。


 実際は、「私ばかり不幸だ」と「思う権利を貰っている」くらいのものですよ。

 幻想と事実を、俯瞰して区別する癖をつけていきましょう。

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